民謡が蔑まれ卑しめられた時代に、格調高い芸風でその発掘・普及に取り組んだ雲竹。何にも代えがたい業績は、高く評価され日本民謡協会から初代の名人位を授与されています。中でも、献身的に取り組んだ津軽民謡は、竹山を伴奏者として抜擢することで、幾多の津軽のうたが津軽民謡として形を整え全国に知られるようになっていきました。
その雲竹の歌の素晴らしさは、後年に伴奏者を務めた弟子、高橋竹山の言葉が魅力を伝えてくれています。
「おらの21、22のころの雲竹さんの唄というのはどんだもこんだも。声がいいのわるいのってああした声をきいたこともなければ、ああいう唄もきいたことがない。まことにいい唄だった。若かったときはなんぼでも調子はたつし声の幅はあるし、まずほんとにホロッとするような唄であった。声にくもりがなく、まずあれが、ほんとの声というもんだなあ」(高橋竹山『津軽三味線ひとり旅』中公文庫)
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